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穴門山神社 高ヒット [地図表示]
2012/3/3 17:09 投稿者: yataka654 (記事一覧) [ 20997hit ]

見事な建築様式の、由緒正しい神社

こんなところに本当に神社があるの?と思いながら辿り着くと、山門の先に、背面にまっすぐに切り立った石灰岩の崖を配した風格ある社殿が。穴門山神社です。今でも地域の人に大事に愛されているこの神社、仏閣・史跡めぐりが好きな人ならば一度は訪れてみたい、歴史ある建造物なのです。

穴門山神社は、朝廷崇敬の神社でした。社格は「式内社」。社格とは、朝廷によって定められる神社の格式のことです。「式内社」は、「延喜式」*1の巻9および巻10の「神名帳」に並ぶ神社のことで、非常に権威ある官社(律令制で、神祇官(じんぎかん)の神名帳に記載されており、祈年祭(としごいのまつり)、月次祭(つきなみのまつり)、新嘗祭(にいなめさい)などを行った神社)です。
数々の神々の伝説も多く、倭姫世記(やまとひめのみことせいき)という古書によると、崇神(すじん)天皇から、天照大神のご神体である御鏡を、「どこへおまつりしたらよいかさがしてこい」という命を受けた豊鋤入姫命(とよすきいりびめのみこと)が、紀伊国奈久佐浜宮より備中国名方浜宮(現在の穴門山神社)へ奉遷し(神体などをよそへ移すこと)、4年間奉斎(つつしみ清めてまつること)したと記されています。朝廷の穴門山神社に対する崇敬が厚かったことがうかがえるエピソードです。

祭神は、天照大神、倉稻魂大神(うかのみたまのおおかみ、豊受大神(とようけのおおかみ)ともいう)、日本武尊の第二王子足仲彦命(たらしなかつひこのすめらみこと)、吉備武彦命の娘で日本武尊の妃である穴門武姫命(あなとたけひめのみこと)。これら四柱を併祀しています。

社殿は寛永9年(1632年)秋に焼失したものを、備中松山城主の池田出雲守長常が、寛永14年(1637年)に再建寄進しました。権現造りの建築様式で、特に本殿妻側は懸魚*2(げぎょ)、虹梁*3(こうりょう)、支輪*4、斗栱*5(ときょう)組みで装飾性が高く、県下にその例がない大変希少なものです(県指定)。

穴門山神社の森は、その多様さから県の天然記念物に指定されています。昭和5年10月の 京都大学・田代善太郎氏の調査によると、438種の植物が記録されています。神木は、本門そばの石段上の大杉と境内崖下のカツラ。このカツラは、なんと、樹齢推定700年、株周囲8.93m、樹高30mもある巨木です。

*1「延喜式」とは、平安後期の延長5年(927年)に編集して天皇に奉られた50巻からなる朝廷の儀式、行政の実施に関する規範です。
*2懸魚=破風板の下に取り付けられる装飾を目的に付けられる彫刻を施した板のこと
*3虹梁=中央部が虹のように湾曲したアーチ状の梁
*4支輪=軒裏や折上げ天井の斜めに立ちあがる湾曲した縦材
*5斗栱組み=斗(ます)と肘木組み合わせたもの(軒の重みを支える)


 

不思議な言い伝えのある、秘密の名水

穴門山神社の左手奥にある鍾乳洞(御神窟)に、これまた不思議な伝説があるのです。
この洞窟から湧き出る水は、知る人ぞ知る名水。この水でご飯を炊いたり、コーヒーを入れると非常にまろやかでおいしくなるのです。
ちなみに、弥高山公園内のレストラン「郷土料理かっこう」のご飯は、この御神水で炊いたものです!

この洞窟は奥行100m、最大内径10mの吐出型水平型。石灰岩の中に出来た板状の割目を伝う地下水が岩を溶かして出来たものです。このあたりの吉備高原は今から数百万年前頃は、海面に近い土地でしたが、一帯は隆起を繰り返して現状の標高になりました。隆起の過程でだんだんと地表の水の侵食によって下がったために、洞窟は高さを増していきました。底が平たいのは隆起による一時休止期を示しています。また、穴幅が狭く、 鍾乳石が無いのは、地下水の量や流れの方向に変化が起ったものと考えられています。

洞窟の入口の中央には、入口をふさがんばかりの球形の巨岩がでんと座っています。それは遠い昔の神話にある天の岩屋、天の岩戸に似て、その岩戸を押し開いて天照大神をお連れ出し申し上げた、怪力の天手力男命(あまのたぢからおのみこと)の勇姿をも想像できて神々しさがあります。司祭者は洞窟の巨岩の「福石」より奥に進んでご祭神を拝礼しますが、一般参詣者は「福石」の前に立ち、一家の万福を祈願します。

福石の由来


昔、富貴なお方が穴門山神社へ参詣されました。終夜参籠していると途中少し眠気がしてきてうとうとした時、夢に白衣の神人が現われ、洞内の入口を指さされました。そこには、無数の金の蟹(かに)がうごめいており、その白衣の神人は、「お前は信心深い働き者だから、その一塊を与える」と言われました。
富貴なお方が松の風音で目がさめてみると、夢の通り、洞窟の入口には無数の金塊がありました。そこで、ご神託の通りその一塊をいただき村に帰ったところ、その後ますます福運が開けて大金持ちになったとそうです。その入口にあった無数の金塊の金蟹が結集して「福石」になったと伝えられ、その後福運を祈願して人々が参詣するようになりました。
 

 

穴門山神社の見事な構え
穴門山神社の見事な構え
境内のご神木
境内のご神木
地図  [KML] [地図表示]
住所高梁市川上町高山市 1035
拝観無休 (境内開放)
料金無料
アクセス「岡山」駅からJR伯備線で55分(特急利用で35分)の備中高梁駅で下車、タクシー利用で30km(80分)。
車の場合、岡山自動車道賀陽ICから高梁市街~国道313号線 川上町を目指し、川上町中心部から県道77号線を油木方面へ、賀陽ICから90分。
山陽自動車道笠岡I.Cから90分
駐車場10台(無料)
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