雲海


神秘の雲海に出会える、信仰の山

なんといっても、弥高山といえば外せないのはこの絶景。晩秋のよく晴れた寒い早朝に見られる、朝日に輝く雲海です。ふわふわと綿あめのような白い幻想的な雲海がじょじょにピンク色に染まっていくさまは、この世のものとも思えない神々しい美しさに満ちています。シーズン中は、この時を待ちに待った、たくさんのプロ&アマチュアカメラマンでいっぱいになります。

弥高山は、古くから信仰の山として親しまれてきました。登山道には千手観音や大日如来などの88体の石仏が置かれており、江戸時代には「巡礼」の山としてにぎわっていたようです。登山道脇の石仏1体ずつに手を合わせながら、現代の88カ所巡りをしてみるのもいいかもしれません。



周辺は、地学好き垂涎のスポット


弥高山が生まれたのは、地質学で言う第4紀更新世。この時代は哺乳類が栄え、人類が出現して氷期と間氷期を繰り返していました。周囲の岩石より硬いために長年の浸食に耐えて残った山=「浸食残丘(しんしょくざんりゅう)」であることがわかっています。

また、弥高山を中心とした高山市(こうやまいち)付近には、地質学・地形学的に大変貴重な地質構造があるのです。たとえば、「大賀デッケン(大賀の押被<おしかぶせ>、デッケンとはドイツ語の「覆う」の意味)」。これは、約2億年前の中生代に堆積した新しい泥岩・砂岩層の上に、約3億年前の古生代に堆積した古い石灰岩層が重なったもの。通常の地層の堆積順序からいえば新旧の地層が逆転しており、とても珍しい構造です。昭和12年には、国の天然記念物に指定されています。大正12年、東京大学の小澤儀明博士によって発見されました。
 


一般に地層が上下に積み重なるとき、上に重なった地層は下にある地層よりも新しくなります。ところがこの大賀地区では中生代の三畳紀(約2億年前)に堆積した新しい地層(成羽層群)の泥岩・砂岩の上に古生代の石炭紀・二畳紀(約3億年前)に堆積した古い時代の石灰岩層(秩父 古生層)が重なり、新旧の地層が逆転した「押し被せ構造」となっている。
このめずらしい地質構造は中生代の白亜紀(約1億年前)に起こった大規模な地殻変動によってできたものである。このとき地層は横からの大きな力で押され て、上にふくらみ、さらにふくらんだ部分が倒れこんだり(横臥褶曲)、ずれたり(衝上断層)し、そのあと上部の地層が削られ、その結果残った部分が現在の 姿となっています。
現在も、この石灰岩層と泥岩層との境界部が、河床に見られます。なお、以上の説明とは別に、秩父古生層は隆起して浸食を受けさらに沈み、その後この地層の上に成羽層群が堆積したという考えもあるようです(文部省 岡山県教育委員会 高梁市教育委員会)。